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ごあいさつとプロフィールに代えて

〜社長の話をしよう〜

 

弊社の社名は個人名になっていますが、これは独立した時につけたものです。

忙しさにかまけて社名変更もできないまま現在に至りますが、
個人ではなくスタッフが中心となって働く会社です。

基本は「人と人とのコミュニケーションをデザインする」仕事。

ご縁をいただいて取材やヒアリングを行い、
Web、グラフィック、映像、店舗設計と様々な分野の専門スタッフ同士が
社内で打ち合わせしながら時代に沿ったデザインを提案していく仕事です。

クリエイティブな分野で謙虚に表現していくことは何よりも大切ですが、
「運」をつかむ努力も必要です。

ここではプロフィールに代えて自身のことをお話させていただきます。

代表取締役社長 中山徹

絵を描くのが好きだった子ども時代

 

長年、デザイン会社を経営する立場にありますが、子ども時代までさかのぼっても絵を描くことが好きでした。鬼ごっこや落とし穴、川泳ぎなどが流行っているなか、友達と漫画を回し読みしては好きなキャラクターを真似て描いたものです。親戚に図案屋(今でいうイラストレーター)がいたこともあり、絵を描く仕事に憧れを持っていたのかもしれません。
ある日、夕食を終えて外に出てみると真っ赤な夕日の中に、異常発生した何十万匹もの赤とんぼが飛んでいました。山の上の方から、子どもの手も届くような場所まで赤とんぼが埋め尽くす光景に大人たちも「うゎー」っと声を上げたのですが、その場面が展開されたのは1〜2分のこと。あっという間にどこかへ消えていったのです。
この信じられないような瞬間が印象的で、この時の体験も絵に描き留めた覚えがあります。

「絵で生活する」夢に向かう

 

小学生の頃は遠足へ行っても絵のテーマや構図を考えているような子どもでした。小学3年生の時の遠足で帰宅する生徒たちの姿とともに、稲刈りを終えて稲を干す夫婦を中央に大きく描いた絵が大会で優勝。秋の季節感が表現できていると褒めてもらい、先生と一緒の写真が新聞に掲載されて嬉しかったのを覚えています。
高学年になると給食の時間にクロッキーをするようになり、学芸会では全校生徒の代表として校長先生をモデルにB全紙のクロッキー作品を描きました。中学生になってからは自作の漫画を新聞社に投稿していたのですが、作品が掲載されると担任の先生が「載ってたぞ」と新聞を切り抜いてくれていました。
そうした一つひとつの経験、人に喜ばれる絵が描きたいという思いが積み重なり、将来は図案家の親戚のような絵描きになることを心に決めたのです。

ご縁が夢をつないでくれた就活時代

私が就職活動を始めた当時、個人のデザイン事務所の給与は一般企業の半分程度の1万5000円ほどでした。家賃と安い定食屋の昼食代だけでオーバーしてしまい、とても生活していくことはできません。
「絵で生活する夢を諦めて故郷に戻ることになる……」
そんな時に友人が入社する企業の面接を一緒に受けてみないかと誘ってくれたのでした。
入社試験はテストもあったのですが、社長直々に面接してもらえたおかげで合格通知が届きます。会社の先輩による後日談で「不合格が決定していたけれど、社長がついでにあの子も入れてやれと言われたので入社できた」と聞きました。
これも後々わかったことですが、入社した大手印刷会社は足利尊氏京都邸跡の中心部にあり、私を入社させてくれた恩人の社長もその近所に住われていました。足利尊氏は私の故郷が生誕の地だったので、少なからず縁を感じたものです。
この恩人の社長をはじめとする人とのご縁とともに、場所とのつながりを感じます。

40年の時がつないでくれる場所と人

 

デザイン会社を立ち上げてから2023年に40周年を迎えるのですが、現在会社が入居しているビルのすぐ裏に私の恩人である社長の自宅跡があり、ビルの窓から見ることができます。
通勤や仕事のために借りている駐車場も、当時勤めていた会社があった場所のすぐ隣にあるので、40年の時を経た今も、同じ場所に通勤しているような感覚になることがあります。
こうして振り返ると、子どもの頃からの夢を叶えてくれた社長をはじめ、後に起業してからも何百人という経営者に出会ってきました。数々の出会いに刺激を受ける中で、昔の同僚と何十年ぶりに再会して一緒に仕事ができたこともありました。
今、この場所にいることもそうですがラッキーなことや運命と思えるような出会いが数多あり、人と人とのめぐりあいは奇跡のようなものだと思っています。

独立からバブル崩壊

恩人の社長の会社で働いていましたが次第に、周囲からの勧めで独立を考えるようになります。会社が休みの日曜にデザインのアルバイトで資金を稼ぐことにしたものの結局はお金を貯めることができず独立資金を借りてマンションの一室からスタートしました。そのデザイン会社が現在に至ります。
デザイン会社の立ち上げ当初から昼間は営業、夜になれば作業と接待で帰宅するのは夜中になってしまう毎日でした。数時間の睡眠も車の中や机の下で仮眠をとるような生活でしたが、当時は苦労とも思わず夢中になっていました。
そんな日々はあっという間で2〜3年後にはスタッフが増え10名ほどの会社に成長し、手狭になったオフィスを移転します。
しかし調子が良かったのはそこから10年ぐらいで、想像すらしていなかったバブル崩壊の憂き目にあうことになるのです。

「UFO!?」に遭遇する不思議な体験

 

バブル崩壊によって周囲のたくさんの友人や同業者は廃業に追い込まれていきました。この「失われた20年」と言われた時代に、自身のデザイン会社も何千万円とあった預金が底をついて借金だけが膨らんでいきます。
そんな大変な状況の中で、ある不思議なことを体験しました。お盆の帰省ラッシュで渋滞していた田舎道、車の中から空を見上げるとUFOが浮いていたのです。
「誰かが糸で釣っている?」
「やっぱりUFOや!」
と頭をめぐらせていると前の車が動き出し、目を離した次の瞬間には消えていて再び空を探してももうその姿はありませんでした。
今でも説明がつかないような事態でしたが、かなり近い距離にいたのか昼間でもあったので円盤の細部まで見たのをはっきり覚えています。
後日、歴史をたどってみると江戸時代に「うつろ船」というUFOのような物体を描いた絵が存在していました。自身が間近でUFOを発見した時には現実ではないような「大きさ」に違和感があったものの、「うつろ船」に描かれたUFOと人のバランス見た時に「これだ!」と腑に落ちるものがあり、納得してしまったのです。

めぐりあう奇跡と運をつかむ努力

それまで、地球外生命体はいたとしてもUFOの存在なんて絶対につくり話だと思っていたのに、直面したからには信じるしかありません。
しかも、この不思議な経験を得た年から、低迷していた会社の売り上げが順調に伸び始めます。私にとってUFOとの遭遇がバブル崩壊からの開放という奇跡のようなタイミングとなったのです。
偶然だったとしても、起こり得ないことが起こり、見えないものが存在していることに無限の可能性を感じずにはいられませんでした。
振り返れば色々とありましたが、幼少期から現在に至るまで好きな絵の世界でやってこられたことは本当に幸運の積み重ねだと思っています。
思わぬ事象に遭遇することも、人とのつながりにも無限の可能性を信じています。そしてこれからも、何が起こるかわからないことを楽しみにしたいと思います。

時代に沿った経営戦略とは

 

株式会社中山徹デザイン事務所は40周年を迎えました。
つねに時代は変化し続けています。バブル崩壊もそうでしたが、新型コロナウィルスが世界に経済的影響を与えることなど誰も想像していなかったでしょう。
私たちが主戦場としてきた広告業界や印刷業界も様変わりしました。社会におけるクリエイティブな分野の位置付けも変化しています。
しかし今に始まったことではなく、変化は起き続けています。
江戸時代以前からの呉服屋が様々な高級商品を扱うようになって百貨店となり、後に続けとこぞって百貨店を創業しました。着物の呉服札(値札)を作る業者は印刷会社になり、百貨店の包装紙や手提げ袋の図案を提案するため全国に営業所を展開しました。その包装紙や手提げ袋はブランド化(ブランディング)されて全国に名を馳せます。
まさに時代に沿った営業戦略でした。

Web会社としても柔軟に活動

戦後は「家電時代」の到来。三種の神器である洗濯機・テレビ・冷蔵庫が普及し、団地族が誕生。マイカーの時代も始まりました。三種の神器に代わってカラーテレビ・クーラー・カーの「3C」が登場し、カラーテレビは大手企業の広告塔となって全国に代理店業が起業されました。
新聞社を震撼させた週刊誌の時代も情報化社会を急速に発展させます。そして今はコンピューター・携帯電話・Webの時代。
必要とされるものは残され、淘汰されるものは淘汰され、時代は変化し続けます。
株式会社中山徹デザイン事務所もどれだけ時代に沿ったデザインを提案できるかを追求してきました。
紙媒体のあり方も見極めながら、HP制作をはじめとするWeb会社としての事業に力を入れるようになり、現在ではWeb、グラフィック、映像、店舗設計とあらゆる分野の専門スタッフたちが時代をつくるデザインを提供するために各々の力を発揮しています。

コミュニケーションをデザインする

 

IT・AIの時代を迎えた今だからこそ、人と人とのコミュニケーションが何よりも大切であることを実感しています。
スマートフォンやインターネットを中心とする情報技術の革新によって経済構造も変化し、IT革命という言葉が目まぐるしい変化を象徴しています。そうした変化の中で、私たちは時代に寄り添い「人と人とのコミュニケーションをデザインする」活動を続けていくことが成功への一番の近道だと考えています。
経営には俯瞰的に把握して反応することが要求されます。40周年から次の10年、20年とつないでいくことは簡単ではありません。
私たちは謙虚に時代を見据えながら皆さまとコミュニケーションを図りお役に立てるよう、日々努力し続けなければなりません。
それがお互いの発展につながると信じています。

Webデザイン・Printingデザイン・Movieを中心に活動 - 作品資料請求はこちらから - 会社広報関係の方、又は新規開業者様以外の個人の方への送付は致しかねます。

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