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ごあいさつとプロフィールに代えて

〜社長のよもやま話〜

 

弊社の社名は個人名になっていますが、これは独立した時につけたものです。

忙しさにかまけて社名変更もできないまま現在に至りますが、
個人ではなくスタッフが中心となって働く会社です。

基本は「人と人とのコミュニケーションをデザインする」仕事。

ご縁をいただいて取材やヒアリングを行い、
Web、グラフィック、映像、店舗設計と様々な分野の専門スタッフ同士が
社内で打ち合わせしながら時代に沿ったデザインを提案していく仕事です。

クリエイティブな分野で謙虚に表現していくことは何よりも大切ですが、
「運」をつかむ努力も必要です。

ここではプロフィールに代えて自身のことをお話させていただきます。

「絵で生活する」子どもの頃からの
夢をつないだ人と場所

 

長年にわたってデザイン事務所を経営する立場にありますが、子ども時代までさかのぼっても絵を描くことが好きで、漫画のキャラクターを真似て描くのが遊びの一つでした。親戚に図案屋(今でいうイラストレーター)がいたこともあり、絵を描く仕事に憧れを持っていたのかもしれません。

小学3年生の遠足では、帰宅する生徒たちの姿とともに、稲刈りを終えて稲を干す夫婦を中央に大きく描きました。その絵が大会で優勝し、先生と撮った写真も新聞に掲載された記憶があります。秋の季節感が表現できていると先生に褒めてもらい、嬉しかったのを覚えています。

高学年になると給食の時間にクラス全員でクロッキーをするようになり、学芸会では全校生徒の代表として校長先生をモデルにB全紙のクロッキー作品を描きました。中学生になってからは漫画を描いて新聞社に投稿していていたのですが、作品が新聞に掲載されると担任の先生が「載ってたぞ」と新聞を切り抜いてくれていました。子どもの頃からの、人に喜ばれる絵が描きたいという思いが積み重なり、将来は図案家の親戚のような絵描きになることを心に決めたのです。

しかし私が就職活動を始めた当時、個人のデザイン事務所の給与は一般企業の半分程度の1万5000円ほどでした。家賃と安い定食屋の昼食代だけでオーバーしてしまい、とても生活していくことはできません。「絵で生活する夢を諦めて故郷に戻ることになる……」そんな時に友人が入社する企業の面接を一緒に受けてみないかと誘ってくれたのでした。入社試験としてスケッチもあったのですが、社長直々に面接してもらえたおかげで合格通知が届きます。会社の先輩による後日談で「不合格が決定していたけれど、社長がついでにあの子も入れてやれと言われたので入社できた」と聞きました。

また、これも後々わかったことですが、入社した会社は足利尊氏京都邸跡の中心部にあり、私を入社させてくれた恩人の社長もその近所に住われていました。足利尊氏は私の故郷が生誕の地だったので、少なからず縁を感じたものです。そして現在、弊社が入居しているビルもそのすぐ近くにあります。恩人の社長をはじめとする人とのご縁とともに、場所とのつながりを感じます。

子どもの頃からの夢を叶え、後に起業してからも何百人という経営者に出会ってきました。数々の出会いに刺激を受ける中で、昔の同僚と何十年ぶりに再会して一緒に仕事ができたこともありました。ここにお話した以外にもラッキーなことや運命と思えるような出会いがあり、人と人とのめぐりあいは奇跡のようなものだと思っています。

独立からバブル崩壊
〜めぐりあう奇跡と運をつかむ努力〜

 

恩人の社長の会社で働いていましたが次第に、周囲からの勧めで独立を考えるようになります。会社が休みの日曜にデザインのアルバイトで資金を稼ぐことにしたものの結局はお金を貯めることができず独立資金を借りてマンションの一室からスタートしました。そのデザイン事務所が現在の会社です。

会社の立ち上げ当初から昼間は営業、夜になれば作業と接待で帰宅するのは夜中になってしまう毎日でした。数時間の睡眠も車の中や机の下で仮眠をとるような生活でしたが、当時は苦労とも思わず夢中になっていました。そんな日々はあっという間で2〜3年後にはスタッフが増え10名ほどの会社に成長し、手狭になったオフィスを移転します。しかし調子が良かったのはそこから10年ぐらいで、想像すらしていなかったバブル崩壊の憂き目にあいます。周囲のたくさんの友人や同業者は廃業に追い込まれていきました。この「失われた20年」と言われた時代に、弊社も何千万円とあった預金が底をついて借金だけが膨らんでいきます。

ここで、私だけではなく大勢の方が体験している話ですが、お盆の帰省のために渋滞していた田舎道で、車の中から空を見上げるとUFOが浮いていたのです。車が動き出した時に目を離し、再び空を探しても消えていた一瞬の出来事でしたが、かなり近い距離にいたのか円盤の細部まで見たのをはっきり覚えています。それまで、地球外生命体はいたとしてもUFOの存在なんて絶対につくり話だと思っていましたが、しかし直面したからには信じるしかありません。歴史をたどってみると江戸時代に「うつろ船」というUFOのような物体を描いた絵が存在していました。この不思議な経験を得た年から会社の売り上げが順調に伸び始め、私にとってUFOとの遭遇がバブル崩壊からの開放という奇跡のようなタイミングとなったのです。偶然だったとしても、起こり得ないことが起こり、見えないものが存在していることに無限の可能性を感じずにはいられませんでした。振り返れば色々とありましたが、幼少期から現在に至るまで好きな絵の世界でやってこられたことは本当に幸運の積み重ねだと思っています。

思わぬ事象に遭遇することも、人とのつながりにも無限の可能性を信じています。そしてこれからも、何が起こるかわからないことを楽しみにしたいと思います。

時代に沿った経営戦略とは

時代は変化し続けています。広告業界や印刷業界も様変わりし、社会におけるクリエイティブな分野の位置付けも変化しています。

昔の話から始めると、呉服屋が様々な高級商品を扱うようになって百貨店となり、後に続けとこぞって百貨店を創業しました。着物の呉服札(値札)を作る業者は印刷会社になり、百貨店の包装紙や手提げ袋の図案を提案するため全国に営業所を展開しました。その包装紙や手提げ袋はブランド化(ブランディング)されて全国に名を馳せます。まさに時代に沿った営業戦略でした。

戦後は「家電時代」の到来。三種の神器である洗濯機・テレビ・冷蔵庫が普及し、団地族が誕生。マイカーの時代も始まりました。三種の神器に代わってカラーテレビ・クーラー・カーの「3C」が登場し、カラーテレビは大手企業の広告塔となって全国に代理店業が起業されました。新聞社を震撼させた週刊誌の時代も情報化社会を急速に発展させます。そして今はコンピューター・携帯電話・Webの時代です。必要とされるものは残され、淘汰されるものは淘汰され、時代は変化し続けます。IT・AIの時代を迎え、スマートフォンやインターネットを中心とする情報技術の革新によって経済構造も変化し、IT革命という言葉が目まぐるしい変化を象徴しています。そうした変化の中で、私たちは時代に寄り添い「人と人とのコミュニケーションをデザインする」活動を続けていくことが成功への一番の近道だと考えています。

経営には俯瞰的に把握して反応することが要求されます。私たちは謙虚に時代を見据えながら皆さまとコミュニケーションを図りお役に立てるよう日々努力し続けなければなりません。それがお互いの発展につながると信じています。

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